植木屋せいちゃん
ホームページを見ていただき、ありがとうございます。
僕が植木屋になったきっかけを最初にお話ししようと思います。
東京農業大学卒業後に岩手の自然学校での活動を終えたあと、そこで出会った人の活動拠点に行くという旅をしていました。
その中の一つに東京都国立市にプランターコテッジという緑に囲まれた古民家のコミュニティスペースがありました。
そこで植木屋の方に出会いました。
その時は、植木屋という仕事もあるんだなという印象だけでとどまったのですが、転職を続けていて「地に足をつけるための仕事」は何がいいのか。
これまで、ずっと緑や生きものに関わってきた仕事をしてきました。
そこで、あの時の植木屋の方の自由な生き方を思い出しました。
そうして、植木屋への修業の道を歩みだしました。
その旅をしていた頃、自分の生まれ故郷である岩手県大槌町をもっと知ろうという思いがありました。
ある時、大槌の町を散歩していると、ある喫茶店を見つけそこのマスター兼陶芸家の方との出会いがありました。奥さんは織物をやっている方で、二人に気に入ってもらえたようで、よく話すようになりました。
ある時、マスターが「これまでの人生を書き下ろしたものがありそれをデータで残そうと思っている」という話をされました。
奥さんが私にそれを頼んだらいいのではと打診をしたところ、マスターの一言。
「彼は、自分で何かをやっていく人だから、そんな事を頼んではいけない」
僕は、そう言われた事が胸に残っていて、自分のやりたいことで進んでいこう、独立して仕事をしたいという決心が芽生えた瞬間だったと思います。
しかし、そのあと東日本大震災があり、その喫茶店はなくなってしまいました。僕は、旅をやめて神奈川県の地元のNPOで仕事をしながら休日は大槌へとボランティアへと行っていました。
そして、環境汚染の調査の仕事へ転職をした後に、最初の方でお話をさせて頂いた植木屋になろうと思ったきっかけへの道に結びついていきます。
さてここで、屋号の話に戻ります。
屋号には、自分の名前を入れたいと思っていたので、どうしようかと悩んでいた時に、植木屋の先輩が「~ちゃん」という屋号もいいよな~という話題があがりました。
あっ!せいちゃんだ!!
ビビビときた瞬間でした。
これは、岩手の陶芸家と織物家のご夫婦に愛着を込めて呼んでもらっていた名前です。
「植木屋 せいちゃん」
誕生です。
そして、植木屋への道のきっかけを与えてくれた多摩地域で開業をしたいと思いこの地域を選びました。
親方は厳しい人でしたが、僕にたくさんのチャンスを与えてくれました。めげそうになる事も多かったのですが、それよりも、この緑や生きものの空間で仕事をしている事がとても楽しかったのです。
この心地よいと感じられる空間を伝えていきたいという、そんな気持ちがあったからこそ、続けていけたのだと思っています。
色々な「おもい」のあるこの屋号で、一生懸命お客様と向き合っていきたいと思っています。
~ちょっとした事がふと、何かの助けになる~
それが僕が、植木屋せいちゃんとしてこれから活動してきたい志です。
至らない点も多々あるかと思いますが、まじめに対応してよい植木屋へと目指していきますので、是非よろしくお願い致します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
植木屋せいちゃん 代表
岡本 聖
ホームページを見ていただき、ありがとうございます。
僕が植木屋になったきっかけを最初にお話ししようと思います。
東京農業大学卒業後に岩手の自然学校での活動を終えたあと、そこで出会った人の活動拠点に行くという旅をしていました。
その中の一つに東京都国立市にプランターコテッジという緑に囲まれた古民家のコミュニティスペースがありました。
そこで植木屋の方に出会いました。
その時は、植木屋という仕事もあるんだなという印象だけでとどまったのですが、転職を続けていて「地に足をつけるための仕事」は何がいいのか。
これまで、ずっと緑や生きものに関わってきた仕事をしてきました。
そこで、あの時の植木屋の方の自由な生き方を思い出しました。
そうして、植木屋への修業の道を歩みだしました。
その旅をしていた頃、自分の生まれ故郷である岩手県大槌町をもっと知ろうという思いがありました。
ある時、大槌の町を散歩していると、ある喫茶店を見つけそこのマスター兼陶芸家の方との出会いがありました。奥さんは織物をやっている方で、二人に気に入ってもらえたようで、よく話すようになりました。
ある時、マスターが「これまでの人生を書き下ろしたものがありそれをデータで残そうと思っている」という話をされました。
奥さんが私にそれを頼んだらいいのではと打診をしたところ、マスターの一言。
「彼は、自分で何かをやっていく人だから、そんな事を頼んではいけない」
僕は、そう言われた事が胸に残っていて、自分のやりたいことで進んでいこう、独立して仕事をしたいという決心が芽生えた瞬間だったと思います。
しかし、そのあと東日本大震災があり、その喫茶店はなくなってしまいました。僕は、旅をやめて神奈川県の地元のNPOで仕事をしながら休日は大槌へとボランティアへと行っていました。
そして、環境汚染の調査の仕事へ転職をした後に、最初の方でお話をさせて頂いた植木屋になろうと思ったきっかけへの道に結びついていきます。
さてここで、屋号の話に戻ります。
屋号には、自分の名前を入れたいと思っていたので、どうしようかと悩んでいた時に、植木屋の先輩が「~ちゃん」という屋号もいいよな~という話題があがりました。
あっ!せいちゃんだ!!
ビビビときた瞬間でした。
これは、岩手の陶芸家と織物家のご夫婦に愛着を込めて呼んでもらっていた名前です。
「植木屋 せいちゃん」
誕生です。
そして、植木屋への道のきっかけを与えてくれた多摩地域で開業をしたいと思いこの地域を選びました。
親方は厳しい人でしたが、僕にたくさんのチャンスを与えてくれました。めげそうになる事も多かったのですが、それよりも、この緑や生きものの空間で仕事をしている事がとても楽しかったのです。
この心地よいと感じられる空間を伝えていきたいという、そんな気持ちがあったからこそ、続けていけたのだと思っています。
色々な「おもい」のあるこの屋号で、一生懸命お客様と向き合っていきたいと思っています。
~ちょっとした事がふと、何かの助けになる~
それが僕が、植木屋せいちゃんとしてこれから活動してきたい志です。
至らない点も多々あるかと思いますが、まじめに対応してよい植木屋へと目指していきますので、是非よろしくお願い致します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
